壱岐(いき、旧字体:壹岐)は、日本海軍の戦艦(のち海防艦)。 艦名は、旧国名「壱岐国」に因む。 日本海軍の法令上は旧字体の壹岐だが、本項目では壱岐と表記する。 1915年(大正4年)10月4日、裕仁親王(のち昭和天皇)および東郷平八郎元帥が観戦する中(御召艦榛名)、標的艦として撃沈処分された。

艦歴

「壱岐」は、元はロシア帝国の艦隊装甲艦インペラートル・ニコライ1世(ロシア語: Император Николай I)であった。ロシア帝国海軍時代には、一時はバルチック艦隊の最有力艦艇であり、旗艦を務めたこともあった。

「インペラートル・ニコライ1世」はバルチック艦隊に所属して日露戦争に参加、ニコライ・ネボガトフ少将指揮下の第3艦隊(第3太平洋艦隊)に所属し、ネボガトフ少将の旗艦としてウラジオストクに向かう。航海中の1905年(明治38年)5月27日、バルチック艦隊は日本海軍(連合艦隊、司令長官東郷平八郎大将、旗艦三笠)と交戦する。 戦闘で負傷したジノヴィー・ロジェストヴェンスキー提督は大破した旗艦「クニャージ・スヴォーロフ」から駆逐艦「ブイヌイ」に脱出、艦隊の指揮権はネボガトフ提督(旗艦ニコライ1世)に委ねられた。 翌5月28日、ネボガドフ提督指揮下のロシア側5隻は連合艦隊に包囲され、降伏する(日本海海戦)。 本艦と同時にオリョール、アプラクシン、セニャーヴィンも降伏した。「イズルムード」のみ逃走に成功した。

6月6日、日本海軍は捕獲したロシア軍艦5隻を改名する。 「オリョール」は戦艦「石見」、「アドミラル・セニャーヴィン」は海防艦「見島」、駆逐艦「ベドーヴイ」は「皐月」、「ゲネラル・アドミラル・アプラクシン」は海防艦「沖島」、そして「インペラートル・ニコライ1世」は戦艦「壱岐《壹岐》」と命名された。 同日附で5隻(石見、壱岐、沖島、見島、皐月)はそれぞれ軍艦籍に編入される(壱岐は二等戦艦籍)。 本艦は、横須賀鎮守府籍と定められた。

同年10月23日、東京湾で凱旋観艦式(明治天皇御召艦浅間、先導艦八重山)が行われる。元ロシア海軍艦艇(相模《ペレスウェート》、丹後《ポルタワ》、壱岐、沖島、見島)等も凱旋観艦式に参列した。 12月12日、壱岐は一等海防艦に類別される。翌年、佐世保工廠での修理が終わる。

1915年(大正4年)5月1日、「壱岐」は帝国軍艦籍および艦艇類別等級表から除籍される。本艦は標的艦として処分されることになった。 同年10月1日、熱田神宮参拝を終えた大正天皇皇太子の裕仁親王(のちの昭和天皇)は、東宮御学問所総裁東郷平八郎・同幹事小笠原長生・東宮侍従長入江為守・海軍元帥井上良馨等と名古屋港より駆逐艦「樺」を経由して巡洋戦艦「榛名」(第一艦隊司令長官吉松茂太郎)に乗艦する。 10月2日の射撃予定は、悪天候により延期された。 10月3日の射撃予定も、「壱岐」の曳索切断のため中止となる(皇太子は上陸して二見興玉神社の夫婦岩を見学)。 10月4日午前10時15分以降、皇太子(榛名座乗)や東郷元帥が見学する中、三重県鳥羽沖(伊勢湾沖合)で金剛型巡洋戦艦2隻(金剛、比叡)は「壱岐」に対する実弾射撃を開始した。射撃前、東郷元帥は皇太子に「壱岐」の艦歴や日本海海戦当時の状況を説明している。 射撃されて十数分後、「壱岐」は右舷に傾斜して転覆し、沈没した。 10月26日、横須賀海軍工廠長は「壱岐」の模型を裕仁親王に献上した。

年表

  • 1886年3月8日 サンクトペテルブルク、フランコ=ルースキイ工場で起工。艦種は艦隊装甲艦。艦級はインペラートル・アレクサンドル2世級。
  • 1889年5月20日 進水。
  • 1891年5月13日 竣工し、バルト艦隊に編入される。但し、実際に稼動体制に入ったのは1892年のこと。
  • 1904年11月3日 ロシア第三太平洋艦隊(いわゆる「バルチック艦隊」)に編入され出航。
  • 1905年5月14日 バルチック艦隊本隊に合流
    • 5月27日 日本海海戦に参戦(ネボガトフ提督旗艦)。
    • 5月28日 竹島沖で日本艦隊に追い詰められネボガトフ提督は降伏、本艦も捕獲される。
    • 6月6日 戦利艦(二等戦艦)として日本艦隊に編入され、「壱岐」と命名。
    • 12月12日 一等海防艦に類別される。
  • 1906年 佐世保工廠で整備完了。
  • 1915年5月1日 老朽化と旧式化により除籍される。
    • 10月4日 伊勢湾外で巡洋戦艦「金剛」「比叡」の36cm砲の標的艦として撃沈処分された。

艦長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 梶川良吉 大佐:1905年6月14日 - 1905年11月2日
  • 西紳六郎 大佐:1905年12月20日 - 1906年8月30日
  • 森義太郎 大佐:1906年8月30日 - 1907年8月5日
  • 奥宮衛 大佐:1907年8月5日 - 8月10日
  • (兼)奥宮衛 大佐:1907年8月10日 - 1908年2月20日
  • (兼)築山清智 大佐:1908年2月20日 - 1908年4月1日
  • 築山清智 大佐:1908年4月1日 - 12月10日
  • 上村経吉 大佐:1909年5月25日 - 1910年7月16日
  • 吉島重太郎 大佐:1910年7月16日 - 12月1日
  • (兼)東郷静之介 大佐:1910年12月1日 - 1911年4月1日
  • (兼)久保田彦七 大佐:1911年4月1日 - 5月22日
  • (兼)矢島純吉 大佐:1911年5月22日 - 12月1日
  • (兼)東郷静之介 大佐:1911年12月1日 - 1912年12月1日
  • (兼)今井兼胤 大佐:1912年12月1日 - 1914年5月29日
  • (兼)岡田三善 大佐:1914年5月29日 - 1915年5月1日

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0386-9
  • 宮内庁 編『昭和天皇実録 第二 自大正三年至大正九年』東京書籍株式会社、2015年3月。ISBN 978-4-487-74402-2。 
  • 新人物往来社編『軍談 秋山真之の日露戦争回顧録 黄海海戦と日本海海戦勝利の要因』新人物往来社〈新人物文庫〉、2010年2月。ISBN 978-4-404-03809-8。 
  • 戸高一成 編『日本海海戦の証言 聯合艦隊将兵が見た日露艦隊決戦』潮書房光人社〈光人社NF文庫〉、2018年3月。ISBN 978-4-7698-3058-0。 
  • 豊田穣『旗艦「三笠」の生涯 日本海海戦の花形 数奇な運命』潮書房光人社〈光人社NF文庫〉、2016年2月。ISBN 978-4-7698-2931-7。 
  • 福井静夫 著、阿部安雄、戸高一成 編『福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想第一巻 日本戦艦物語〔Ⅰ〕』光人社、1992年5月。ISBN 4-7698-0607-8。 
  • 福井静夫 著、阿部安雄、戸高一成 編『福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想第二巻 日本戦艦物語〔Ⅱ〕』光人社、1992年8月。ISBN 4-7698-0608-6。 
  • 福井静夫 著、阿部安雄、戸高一成 編『福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想第六巻 世界戦艦物語』光人社、1993年8月。ISBN 4-7698-0654-X。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』朝雲新聞社、1969年。
  • 真鍋重忠、『日露旅順海戦史』、吉川弘文館、1985年、ISBN 4-642-07251-9
  • 雑誌『丸』編集部 編「多賀一史「日本海海戦と日本戦艦への影響/拿捕艦」」『写真 日本の軍艦 戦艦 II 金剛・比叡・榛名・霧島 戦艦時代の夜明け』 第2巻、光人社、1989年8月。ISBN 4-7698-0452-0。 
  • 『官報』
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    • 坪谷善四郎編『日露戦役海軍写真集. 第1輯』博文会、1905年9月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774272。 
    • 坪谷善四郎編『日露戦役海軍写真集. 第2輯』博文会、1905年10月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774273。 
    • 坪谷善四郎編『日露戦役海軍写真集. 第3輯』博文会、1905年11月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774274。 
    • 坪谷善四郎編『日露戦役海軍写真集. 第4輯』博文会、1906年7月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774275。 
    • 中島武『明治の海軍物語』三友社、1938年11月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1720072。 
    • 中島武『大正の海軍物語』三友社、1938年11月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1720075。 
    • 藤田定市編『戦袍余薫懐旧録.第2輯』財団有終會、1926年12月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447099。 
    • 藤田定市編『戦袍余薫懐旧録.第3輯』財団有終會、1928年1月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447108。 
    • 鳳秀太郎編『日露戰役話集 大戰餘響』博文館、1917年3月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/954055。 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『軍艦壱岐以下三艦ヘ勅諭ヲ下付セラル』。Ref.A01200239900。 
    • 『明治三十七、八年戦役ニ於ケル戦利艦船処分済ノ件』。Ref.A04010138000。 
    • 『明治38年 達 完/6月』。Ref.C12070053000。 
    • 『明治38年 達 完/12月』。Ref.C12070053600。 
    • 『大正4年 達 完/5月』。Ref.C12070069200。 

関連項目

  • ニコライ・ネボガトフ
  • 占守型海防艦(択捉型海防艦)
    • 壱岐 (海防艦)(壱岐島に由来する)
  • 戦艦一覧
  • 大日本帝国海軍艦艇一覧

外部リンク

  • Эскадренный броненосец "Император Николай I" (ロシア語)

hosiouji 壱岐 その5

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