阿佐谷オデヲン座(あさがやオデオンざ)は、かつて存在した日本の映画館である。阿佐ヶ谷オデヲン座とも表記した。東亜興行が新宿・歌舞伎町に進出する以前の1949年(昭和24年)8月、同社を創業するとともに最初に手掛けた映画館として知られる。
閉館後の跡地に同社が経営するトーアセントラルフィットネスクラブ阿佐谷(トーアセントラルフィットネスクラブあさがや)についても本項で扱う。
沿革
- 1949年8月 - 阿佐ケ谷駅北口に高橋康友が開館、東亜興行の創業とする
- 1988年 - 閉館
- 1989年3月 - 跡地にトーアセントラルフィットネスクラブ阿佐谷を新築・開業
データ
- 所在地 : 東京都杉並区阿佐ヶ谷一丁目794番地
- 現在の東京都杉並区阿佐谷北二丁目12番2号 トーアセントラルフィットネスクラブ阿佐谷
- 北緯35度42分18.83秒 東経139度38分6.08秒
- 経営 : 東亜興行株式会社
- 構造 : 木造
- 観客定員数 : 304名(1987年)
概要
1949年(昭和24年)8月、東京都杉並区の阿佐ケ谷駅北口に開館、これを東亜興行株式会社の創業としている。1946年(昭和21年)に中野区鷺宮に三亜薬品工業株式会社(現在のベーリンガーインゲルハイム製薬)を設立、胃腸薬「イモール」の製造販売を行った高橋康友が、映画界に進出した第一歩であった。同社はこれを皮切りに、1950年(昭和25年)12月に「中野オデヲン座」、1951年(昭和26年)11月に「新宿オデヲン座」をそれぞれ開業、とくに「新宿オデヲン座」の開業は、新宿区歌舞伎町に建てられた映画館としては、林以文(ヒューマックス創業者)の「新宿地球座」(のちの新宿ジョイシネマ)に次ぐ第2号であった。東亜興行株式会社の本社所在地は、1955年(昭和30年)12月に歌舞伎町に「グランドビル」が建つまでの当初、同館の場所に置かれた。
阿佐谷オデヲン座は、外国映画(洋画)の三番館、つまりロードショーを終えた作品をその2週後に上映する劇場で、当時、週刊ニュースを独自に発行していた。晩年の新居格(1888年 - 1951年)が同館の至近に居住している旨の葉書を受け取った石川三四郎が、その家を見舞ったとの記述が『新居格君を想ふ』に登場する。当時、阿佐ヶ谷地区は文士村と呼ばれ、上林暁は同館の至近に住んでいたという。
戦前の阿佐ヶ谷地区には、美須鐄(チネチッタ創業者)が経営した阿佐ヶ谷映画劇場(阿佐ヶ谷映劇、阿佐ヶ谷一丁目762番地)しかなかった。戦後、オデヲン座が開館したころの同地区には、阿佐ヶ谷映劇との合計2館であったが、1957年(昭和32年)になると、阿佐ヶ谷映劇は阿佐ヶ谷松竹(のちの阿佐ヶ谷東宝劇場)になり、阿佐ヶ谷名画座(1955年開館)を含めて合計3館になっていた。1963年(昭和38年)には、すでに阿佐ヶ谷中央劇場が加わって、合計4館になり、1966年(昭和41年)には、阿佐ヶ谷東宝劇場(かつての阿佐ヶ谷松竹)、阿佐ヶ谷名画座、阿佐ヶ谷中央劇場、オデヲン座の4館であったが、1966年(昭和41年)には、阿佐ヶ谷東宝劇場、阿佐ヶ谷中央劇場、オデヲン座の3館になっていた。1974年(昭和49年)ころには、オデヲン座のみが残った。
1987年(昭和62年)10月19日から同年11月4日までの間、劇団第七病棟の演劇『湯毛の中のナウシカ』(作唐十郎、主演緑魔子、出演・演出石橋蓮司)を同館で上演している。1988年(昭和63年)、閉館した。東亜興行は、1989年(平成元年)3月、跡地にフィットネス阿佐谷を新築・開業して直営(経営トーア・スポーツ株式会社)、のちにセントラルスポーツに業務委託し、トーアセントラルフィットネスクラブ阿佐谷となって、現在に至る。1998年(平成10年)11月、阿佐ヶ谷地区唯一の映画館としてラピュタ阿佐ヶ谷が、同館跡地の北側(阿佐谷北二丁目12番21号)に隣接した場所に開業した。
トーアセントラルフィットネスクラブ阿佐谷
トーアセントラルフィットネスクラブ阿佐谷(トーアセントラルフィットネスクラブあさがや)は、日本のフィットネスクラブである。1989年(平成元年)3月、東亜興行が映画館跡地に新築・開業、直営している。セントラルスポーツ系列である。
- 所在地 : 東京都杉並区阿佐谷北二丁目12番2号
- 営業時間 :
- 平日 : 6時30分 - 23時00分
- 土日祝 : 9時00分 - 21時00分
- 休館日 : 毎週水曜日および年末年始、季節休館あり
- 施設 :
- 3階 : 水泳用プール
- 2階 : ジム、ジャグジー、サウナ
- 1階 : フロント、ラウンジ、スタジオ、エステサロン
- 地下1階 : ゴルフレンジ、スカッシュコート、スタジオ
脚注
注釈
出典
参考文献
- 『映画年鑑 昭和十七年版』、日本映画協会、1942年発行
- 『映画年鑑 昭和十八年版』、日本映画協会、1943年発行
- 『映画年鑑 1951』、時事映画通信社、1951年
- 『映画年鑑 1954』、時事映画通信社、1954年
- 『映画年鑑 1963』、時事映画通信社、1963年
- 『映画便覧 1963』、時事映画通信社、1963年
- 『映画便覧 1966』、時事映画通信社、1966年
- 『上林暁全集 第十四 随筆・評論・感想』、上林暁、筑摩書房、1967年
- 『映画便覧 1969』、時事映画通信社、1969年
- 『映画年鑑 1971 別冊 映画館名簿』、時事映画通信社、1971年
- 『映画年鑑 1974 別冊 映画館名簿』、時事映画通信社、1974年
- 『石川三四郎著作集 第6巻 回想』、石川三四郎、青土社、1978年4月
- 『映画年鑑 1987 別冊 映画館名簿』、時事映画通信社、1987年
- 『映画年鑑 1991』、時事映画通信社、1991年
- 『昭和30年東京ベルエポック』、川本三郎・田沼武能、岩波書店、1992年12月7日 ISBN 4000084844
- 『映画年鑑 1996』、時事映画通信社、1996年
- 『新宿文化絵図 - 重ね地図付き新宿まち歩きガイド』、東京都新宿区、新宿区地域文化部文化国際課、2007年3月25日 ISBN 4902272040
- 『映画館のある風景 昭和30年代盛り場風土記・関東篇』、キネマ旬報社、2010年3月26日 ISBN 4873763258
関連項目
- 李康友
- 東亜興行
- 新宿オデヲン座
- 阿佐ケ谷駅
- 阿佐谷
- セントラルスポーツ
外部リンク
- 阿佐ガ谷 - 昭和毎日(毎日新聞)、同館の地図(1956年)
- TOA KOGYO - 経営元の公式ウェブサイト
- トーアセントラルフィットネスクラブ阿佐谷 - 跡地施設の公式ウェブサイト


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