川勝 広品(かわかつ ひろただ)は、江戸時代中期の旗本。秀氏流川勝家(本家)の8代当主。
生涯
宝暦10年(1760年)、下総小見川藩の藩主内田正良の三男として江戸に生まれ、後に川勝広長の婿養子となった。天明元年(1781年)8月6日、初めて将軍徳川家治に謁見した。
寛政2年(1790年)11月8日、義父広長の隠居により、その家督(丹波内2,570石余)を継ぎ、小普請となったが、寛政3年(1791年)2月29日、32歳で没した。法名は廣品。墓所は(東京)芝飯倉の瑠璃光寺。
わずか数ヶ月間の当主であった。無役のままで生涯を終えた。家督は婿養子の広致が継いだ。
参考文献
- 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
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