近藤 新八(こんどう しんぱち、1893年10月15日 - 1947年10月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。香川県出身。陸士28期、陸大41期。
経歴
歩兵第224連隊長、第37師団参謀長として中国大陸に駐屯し、続いて台湾軍参謀長を務めた。その後独立混成第19旅団長から新設された第130師団長に補され、広東にて連合軍の中国南部上陸に備えた。戦後戦犯に指名され、昭和22年10月広東で死刑(銃殺)に処された。
辞世の句
- 空蝉の 身は広東に 葬るとも
- 天翔りなむ 我が荒魂は
年譜
- 1916年(大正5年)5月26日 陸軍士官学校卒業
- 1928年(昭和4年)11月29日 陸軍大学校卒業
- 1938年(昭和13年)7月15日 陸軍歩兵大佐・奉天憲兵隊長
- 1939年(昭和14年)3月31日 新京憲兵隊長
- 1940年(昭和15年)12月2日 歩兵第224連隊長
- 1942年(昭和17年)3月11日 第37師団参謀長
- 1943年(昭和18年)10月29日 台湾軍参謀長
- 1944年(昭和19年)7月8日 独立混成第19旅団長
- 1945年(昭和20年)4月15日 陸軍中将・第130師団長
- 1947年(昭和22年)10月31日 死刑




