北勝岩 治(ほくといわ おさむ、1974年6月1日- )は、青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市)出身で八角部屋に所属した元大相撲力士。本名は原田 治(はらだ おさむ)。身長177cm、体重167kg。得意手は突き、押し。最高位は東十両10枚目(2002年5月場所)、血液型はB型。

来歴

「原田酒店」の長男として生まれ、幼い頃から村祭りの相撲大会等に参加したが、本格的に始めたのは五所川原市立嘉瀬小学校2年生の頃で、体格の大きさを見出した担任から勧められたことがきっかけだった。嘉瀬小学校では通常は部活動に参加できるのは4年生からだったが、特別に認めてもらい、毎日の相撲の稽古に明け暮れた。五所川原市立金木南中学校、五所川原農林高校に進学しても相撲部に所属した。日本大学では全国大会に出場するなど活躍。幕下付出の資格を得ていたので、同じ青森出身で親しくしてくれた熊谷(のちの小結・海鵬)が所属していた八角部屋に入門した。1997年3月場所に幕下付出で初土俵を踏んだ。日大時代のチームメイトには学生横綱を獲得した柳川がおり、現役中は本場所でも同じ方屋になると共に談笑する様子がしばしば中継で映されていた。

同期生の出羽平や玉力道が早々と十両に昇進したのに対して、怪我のため三段目に陥落することもあり幕下でかなり苦労した。しかし、西幕下60枚目まで番付を落とした2001年3月場所から6場所連続で勝ち越し、2002年3月場所に十両昇進を果たした。新十両の場所は8勝7敗と勝ち越したが、翌5月場所から2場所連続で負け越し、3場所で幕下に陥落した。幕下陥落後も3年以上幕下中位から下位で低迷していたが、2005年7月場所から勝ち越しを続けていき、2005年11月場所には西幕下7枚目で6勝1敗の好成績を残した。2006年1月場所には東幕下筆頭まで番付を戻し、苦労したが4勝3敗と勝ち越し、22場所ぶりの十両復帰を決めた。再十両の翌3月場所は東十両12枚目で8勝7敗と勝ち越した。その後は翌5月場所から4場所連続で負け越して2007年1月場所で幕下に陥落した。1場所で十両に復帰するも2勝13敗と大敗し再び幕下に陥落した。その後は体力の衰えもあり、2008年5月場所では三段目に陥落した。その場所は5勝2敗と勝ち越し、1場所で幕下に復帰したが、2009年以降は三段目でも負け越すなど体力の衰えがより目立つようになった。2010年5月場所13日目に「もう相手をもっていけなくなった。完全燃焼。悔いはないです」と、引退を表明した。 引退後は飲食店に勤務するという。

主な成績

  • 通算成績:309勝317敗7休 勝率.494
  • 十両成績:50勝70敗 勝率.417
  • 現役在位:80場所
  • 十両在位:8場所

場所別成績

改名歴

  • 原田 治(はらだ おさむ)1997年3月場所-1998年11月場所
  • 北勝岩 治(ほくといわ -)1999年1月場所-2010年5月場所

脚注

関連項目

  • 大相撲力士一覧
  • 青森県の高校相撲部出身の一覧

外部リンク

  • 北勝岩 治 - 日本相撲協会
  • 北勝岩 治 - 相撲レファレンス

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