ハワード男爵(英: Baron Howard)は、イングランド貴族の男爵位。
1470年10月15日、ジョン・ハワードがイングランド王ヘンリー6世により議会へ召集されたことに始まる。彼はサー・ロバート・ハワードと初代ノーフォーク公爵(第1期)トマス・モウブレーの娘マーガレットの息子で、後にリチャード3世の即位を支持してノーフォーク公爵(第3期)を授けられた。しかし1485年8月22日のボズワースの戦いでリチャード3世と共にリッチモンド伯爵ヘンリー・テューダー(後のイングランド王ヘンリー7世)に敗死し、ヘンリー7世によって私権剥奪に処された。
ジョンの息子である初代サリー伯爵トマス・ハワードは1490年に私権剥奪を解除され、1514年にはノーフォーク公爵も返還された。ただしハワード男爵位の扱いは不明確で、1490年の私権回復の対象になっていない可能性が高く、そうであればハワード男爵位は現在に至るまで剥奪されたままということになる。一方で1490年に回復していたとすれば、以後代々のノーフォーク公爵に従属称号として相続され、娘しかいなかった第9代ノーフォーク公爵が1777年に死去したときに保持者不在(abeyance)になったことになる。
ハワード男爵 (1470年)
- ジョン・ハワード (初代ハワード男爵) (1425年頃 - 1485年)
- 1483年、ノーフォーク公爵(第3期)に叙爵
- 1485年、剥奪。
脚注
註釈
出典
関連項目
- ライジング城のハワード男爵(英語: Baron Howard of Castle Rising)
- チャールトンのハワード男爵(英語: Baron Howard of Charlton)
- エフィンガムのハワード男爵
- エスクリックのハワード男爵(英語: Baron Howard of Escrick)
- グロソップのハワード男爵
- マーナルのハワード男爵
- ペンリスのハワード男爵
- ハワード・ド・ウォルデン男爵
- ジョージ・ハワード (ヘンダースケルフのハワード男爵)(英語: George Howard, Baron Howard of Henderskelfe)
- グレヴィル・ハワード (ライジングのハワード男爵)(英語: Greville Howard, Baron Howard of Rising)

![男爵 2015年07月28日の人物のボケ[34091837] ボケて(bokete)](https://d2dcan0armyq93.cloudfront.net/photo/odai/400/86f2ec5db9e24d969b3a55103e4fac55_400.jpg)


