文中 (ぶんちゅう、旧字体:文󠄁中)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。南朝方で使用された。建徳の後、天授の前。1372年から1375年までの期間を指す。この時代の天皇は、南朝方が長慶天皇、北朝方が後円融天皇。室町幕府将軍は足利義満。
改元
- 建徳3年4月(ユリウス暦1372年5月) 改元、災異によるか
- 文中4年5月27日(ユリウス暦1375年6月26日) 天授に改元
出典
出典・勘申者ともに不詳。『易経』彖伝上に「黄裳元吉、文在中也」とある。
文中年間の出来事
※ 南朝関係に限る。
- 元年(1372年)
- 8月12日 - 九州探題今川了俊が征西将軍懐良親王の大宰府(征西府)を陥落する。
- 月日不明 - 北畠顕能が従一位右大臣に叙任されるという。
- 月日不明 - 南軍が肥前高来郡に蜂起し、今川了俊が田原氏能をしてこれを撃たせる。
- 2年(1373年)
- 2月14日 - 菊池武政・武安らが筑後川を渡り、肥前本折城を攻撃する。
- 8月2日 - 長慶天皇が弟の東宮熙成親王に譲位したとの風聞あり(『花営三代記』)。
- 8月10日 - 長慶天皇が北軍の攻撃を受け、行宮を河内天野から吉野へ移す。
- 3年(1374年)
- 8月17日 - 吉野行宮が焼亡するという(正平20年とする説は誤りか)。
- 9月17日 - 菊池武朝が高良山の陣を撤収し、懐良親王らを奉じて肥後隈部城に帰る。
- 11月25日〜26日 - 田原氏能・三河義匡らが肥後小島で南軍と交戦して破る。
- この冬 - 宗良親王が信濃大河原から吉野に入る。
- この冬 - 懐良親王が征西将軍職を若宮(良成親王か)に譲る(翌年夏とする説もある)。
- 4年(1375年)
- 月日不明(1月とも) - 『五十番歌合』が催される。
- 4月8日 - 今川了俊が肥後日岡に布陣する。菊池武朝と対陣すること1か月に及ぶも交戦せず。
誕生
- 3年(1374年)
- この頃 - 海門承朝、臨済宗僧・長慶天皇の皇子( 嘉吉3年)
死去
- 元年(1372年)
- 4月11日 - 洞院実守、公卿(* 正和3年)
- 2年(1373年)
- 8月10日 - 四条隆俊(隆保とも)、公卿・武将
- 11月16日 - 菊池武光、菊池氏の第15代当主(* 元応元年?)
- 12月18日 - 二条為忠、公卿・歌人(* 延慶2年)
- 3年(1374年)
- 4月28日か29日 - 小島法師、『太平記』作者に擬せられる人物
- 5月26日 - 菊池武政、菊池氏の第16代当主(* 興国3年)
西暦との対照表
※は小の月を示す。
脚注
関連項目




